出羽桜 研修日記 4日目

今日はこれといって変わった仕事がありませんでした。いつものルーティンの
仕事です。ではここでそのルーティンの仕事の内容をおさらいしてみます。




  • AM6:00 起床

    麹室で切り返し(布に包まれて塊になっている麹を手と切り返し機で ほぐす作業)を行い前日から寝ている麹を出麹([でこうじ]出来上がった
    麹を乾燥させる枯らし場でひろげる作業)を行います。 枯らし場には畳一枚分くらいのすのこのようなものがあり、そのうえに 麻布をしき麹を広げます。



    砂丘の風紋のように楕円を描いて広げます。
    これは表面積を大きくするためだと思われます。



  • AM7:00 朝御飯

    お弁当が来ます。朝ぶろを入るのでしたらこの時間帯です。



  • AM8:00 作業開始

    まず、櫂入れ(醪のタンクに櫂棒を入れてかき混ぜる作業)です。 櫂入れと同時に醪の温度や各種データーをとるためにサンプルを取ります。
    この時期は暖かいために暖気樽に氷を入れて醪を冷やします。 これもかなりの氷を必要とします。 使用した櫂棒は一度使ったらすべて洗い、熱湯をかけて殺菌します。これが終わると蒸米が出来上がっていますので、放冷機から放冷 された米が出てきます。甑の中には上から酒母米・添麹・仲麹・ 留麹・掛け米といった具合に御米が入っています。
    酒母の仕込みがないときは麹米が出てきますので、それを麹室に かついで運びます。(引き込み作業と呼ばれます)次は掛け米が出てきますので私は放冷機の隣にたってそれを手で さらに細かく砕きます。このときに手の水分や油分がとんでしまい かなり手が荒れてしまいます。同じように放冷機で細かく砕く
    作業をしている蔵元は酒田の上喜元でした。



    何もしないで そのまま使う蔵元もあります。 掛け米はエアーシューターですが何年か前までは掛け米すら
    担いでいたとか。掛け米が入るタンクでは蔵人が櫂棒でかき混ぜていますが、米が まだ溶けていないので全身の力で櫂棒を動かさないと抜くことも 押すこともできません。これはかなりきつい作業です。


    放冷機が終わると細かいところまで手を入れて清掃作業を行います。 とにかく掃除をこまめに行います。本当に清潔な蔵です。



  • AM10:00 休憩

    その日の気温や湿度で放冷機に時間がかかったりする場合があります。 早い日は10時には一服できます。



  • AM11:00 室仕事

    引き込んだ麹米を広げて種付けを行います。蒸し上がった蒸米に すぐに麹菌を振らないのは蒸しを均等にするためなのだそうです。 麹室に引き込んだ米を一度布で包んでこの時間になるまで待つ
    わけです。上から麹を振りかけますが、大きな布で米全体を 包んで麹を振ります。



    これは麹菌が飛び散らないための配慮です。 この作業が終わるとまた麹室の掃除です。
    一度でも作業が終わると細かいところまで掃除を行います。



  • AM12:00 昼食
  • PM1:00 作業開始

    午前中の慌ただしさと異なり、午後からは比較的ゆっくりと 作業がすすめられます。まず明日の蒸しのための準備が行われます。 洗米された米を甑の中に敷いていく作業です。



    米はそれぞれ仕込みの
    違いで層のようになっていると前回説明しましたが、間を布で 仕切りながら米を入れていきます。




  • 搾りを行っているときは、槽がけ(上槽ともいい、醪を搾ってお酒と 粕に分離する作業です)を行います。タンクからホースで圧送されて くる醪を布袋に入れて積んで行きます。槽口からお酒が出てきます。
    (いわゆる「あらばしり」ですね)一度だけ飲む機会がありましたが ガスが抜けていないのでぴりぴりします。


    昨年も書きましたが、山形工場の槽は2つあり一度搾ったものを もう一度積み替えてしぼります。この積み替えの作業も結構きつい です。最初の年はあんなにたくさん槽の奥まで袋があるとは知らず
    後半は結構ばてていましたが、3年目になるとパワーをセーブしながら 作業するので楽です。:-)



    ただ、この作業もアルコールを直接さわり続けるせいか、手が
    荒れやすいです。


    でも、大吟醸の仕込みのときは酒母、麹、掛、全ての米を全部人手で 洗っています。その後の蔵人の手を見ると本当にひどい状態で ひび割れたりあかぎれで血が滲んでいることも珍しくありません。
    それくらいのことをして出品酒を醸しています。


    出来あがった麹は掛け米を朝入れる前に前日の夕方のうちに 醪のタンクに入れます。それ以外に掃除や雑用を行います。



  • PM5:00 終了

    最後にミーティングを行い、切り返しの時間や造りの注意点などを お互いに連絡しあい終わりになります。 この後は泊まりの方二人とご飯を食べて、PM7:00または8:00の
    切り返しと12:00近辺の手入れを行い朝になります。




おおまかに作業の流れを整理するとこうなります。もちろんこれは研修生 である私の作業であって杜氏や蔵人の方達はもっと専門的な作業を行っています。
今年は最終日に放冷機ではなく釜掘り(甑に入っている蒸し米を掘り返して 放冷機のベルトコンベアに乗せる作業)を行いました。


見た目以上にずっときつく、かなりの力仕事です。蒸米からの蒸気と
力仕事で汗だくになります。でも一度やってみたかった仕事なので ちょっと嬉しかったです。


今年は昨年と違い、大吟醸の作業もほとんど終わり蔵の中の空気が穏やか というか和んでいました。やはり大吟醸が入っているときはみんな神経質 というかぴりぴりしています。


大吟醸が入っているときは泊まりの人も3人になりますし、ほとんど寝たか 寝ないかのうちに麹の様子を繰り返し繰り返しみたりしますので当然です。


今年の研修で感じたことは、この出羽桜山形工場には私の初心があるという ことです。酒造りの勉強、人脈形成、いろいろなことを体験するという 目的ももちろんありますが、この工場から帰ってくると「今年もがんばろう」
「また来年も来れるようにがんばろう」という気になります。


それは酒を造っている現場の方達の努力や人柄に実際に触れているからかも しれません。


来年も時間をとれればまたお邪魔したいと思っています。 10名ほどで造りを行っている工場ですから、雑用はたくさんあります。 来年も今年以上に蔵の方達の役に立つような研修を出来れば
そしてまたいろいろなことを教えて頂ければと思っています。

出羽桜 研修日記 3日目

今日は今年最後のもとたて(酒母を仕込む)作業がありました。 この酒母が今年の出羽桜山形工場最後の仕込みになります。 山形工場のもと場は醪のタンクが入っている部屋のちょうど真上(2階)になります。

もとたてのときはもとになる米をかついで階段を登り、もと場の隣で
手で放冷します。



炊きたての米なので担ぐときも熱いですし、結構重いのを肩にかついで 階段を登るので私はふらついてしまいます。 放冷して温度を手で感じながら頃合いを見計らって酒母のタンクに米を入れます。


出羽桜は全て速醸もとなので10~12日程度かかります。 その後温度を調整したりしてもと(酒母)が完成します。


今日は夕方から本社の製造課長の今野課長と当店の営業担当の寒河江さんと 一緒に山形の駅前で飲み会になりました。 昨年は山形工場の麹担当の吉田さんと営業担当の寒河江さんとの飲み会でしたが
不覚ながら昨年は開始早々30分で寝てしまいました。


実は飲みに行く前に蔵でしぼりたて生原酒無濾過を湯のみで3杯くらい飲んでから 行ったので酔いがまわってしまいました。
今年はそんなこともなく、いろいろためになる営業の話、造りの話、業界の話 などをすることができました。

出羽桜 研修日記 2日目

今日から本格的な仕事のはじまりです。 今日は6時に出麹(出来上がった麹を室から出して枯らし場という麹を 乾燥させる部屋に運ぶ作業)を行いました。

朝の櫂入れ(醪のタンクに櫂棒を入れてかき混ぜる作業です)、蒸し米の引き込み (麹になる米を麹室に入れる作業です)掛け米を放冷機で冷やす作業というふうに 昨年と変わらない仕事内容です。

昼前には室に入って麹を振って種付けをします。 麹米に麹菌を振るわけですが、うまく振らないと均等に種付けできません。 よく米を揉んで均一に麹が広がるようにしますが、室の中は30℃近くあるので 上半身裸での作業になります。

出羽桜山形工場では薮田を使っておらず普通酒から大吟醸までほとんどのお酒を 押し槽でしぼります。槽は二つあって一度搾ったものをとなりの槽に移して しぼりなおします。 積み替えという作業ですが、慣れないとこれも結構な重労働です。

夜は昨日と同じように切り返し作業をしました。昨年との大きな違いは蔵の雰囲気です。 昨年は大吟醸の搾りが残っていましたし、いろいろな作業が残っていたので 蔵の雰囲気がぴりぴりしていましたが、今年は一段落ついたせいか 和やかに感じます。

これから切り返しですが、明日は今年最後のもと(酒母)の仕込みがあるそうです。

出羽桜 研修日記 1日目

みなさんこんにちは。 今日から私は例年のとおり出羽桜で造りの研修を行っています。 今年で3年目になりますが、まずは本社で工場を再見学しました。

本社には精米工場があります。その日は精米の機械が稼働していました。 近年になってコンピューター制御の精米機を導入したので、より正確な 精米が行えるようになっています。

麹室は山形工場の3倍程度の大きさですが、大きさに関係なくほとんど人力での 作業になっています。室の外には新しい麹蓋が置いてあります。 新しい麹蓋も将来のために作ってもらったのだそうです。 煮沸はしているそうですが、まだ使える状態ではないそうです。

今回本社見学で驚いたのが貯蔵用の蔵(出羽桜では酒眠蔵と言います)で寝ているお酒 です。 雪漫々は2年熟成の古酒なのですがあのお酒はこの酒眠蔵で生で寝ています。 雪漫々は生貯蔵だったのですね。出荷のときに火入れします。

過去になんどか飲んだ雪漫々ですがそんなことを全く感じなかったので驚きを隠せま せんでした。 酒眠蔵の温度は-5℃です。生を含めた品質管理には最新の注意をはらっています。

夕方には山形工場には入り、麹の切り返しを7時過ぎに行いました。 今日の泊まりの当番は杜氏と井上さんです。ひさしぶりの麹米の感触です。 室の香りは本社も山形工場も同じように思います。

今日の作業は麹の切り返しだけで終わりましたが、槽前から組んできたしぼりたて (ほんとのしぼりたてですね ^^;)で宴会になりました。 生原酒無濾過で炭酸も若干残っていたのできつかったです。

くどき上手 蔵見学

当店のお客様が書いてくださったレポートを転載いたします。 とても細かいところまで観察して下さったレポートです。

予定より少し早く13:10 頃木川屋さんを出発。今年のバスはノントラブルで 羽黒の大鳥居が見える蔵元に着き、蔵見学のお約束事「ゴムサンダルに履き 替え」後、ミーティングルームで杜氏も兼ねる今井俊治専務からお話を伺う。

  • 今井専務のお話

    製造は25-6才から34-5才までと非常に若い人間が造っていますが、酒造りは 経験・技術どうのこうのではなく、麹・酵母など生き物とどう接するか、ど のように環境を整えてやるかだと思っています。

    (壁に貼ってある造りのスケジュールを指しながら)ご覧のように、今年は 10月16日から3月11日までの間、8:00~17:00までの勤務で、平均精米50%を 切る造り(1500kg仕込みで63本と後に仕込み蔵で伺った)をこなしていくの で独自の部分がかなりあります。

    「どうやってる?」と他の蔵元に訊かれる ことがありますが、参考にはなりにくいでしょう。

  • 蔵見学は基本的にお断りしています。以前はお受けした時期もありましたが、 あっちを受け、こっちを断ると依怙贔屓になってしまうので全部止めました。

    酒造りへの集中力が途切れるし、まして今の時期は大吟もあり、全員がピリ ピリしているからですが、木川屋さんには昨年もお断りしているし、2年続 けて断るのも...ということと、取り扱いを10百万くらいにして貰えればいい かと今回お引き受けしました。
    #10百万は冗談混じりのお話でしたが、修一さんは... ただただ苦笑。(^^;

    現在の取引先は県内外で350店ほど。一店当たり1百万の取引、350~400百万 くらいの売上を目論んでいます。

    それで得た利益で設備や労務対策などの好 環境を整備するのに回していきたいと。 以前はロマンだとか、こだわりといったものに固執したこともありましたが、 この規模になるとそれだけでは済まされなくなるのです。

    酒造りのために当たり前のことをやっているだけなので、それをこだわりと は云いたくありません。

    1300石の出荷ですが、その内60%が小瓶類(720ml、300mlなど)なので出荷 本数にすると35万本(平均容量670ml。小瓶比率が高い)ほどです。

    今でこそ「くどき上手」として知られるようになりましたたが、15年くらい 前までは自社売り230石。残りの80%は未納税移出、俗に言う桶売りでした。

    その桶売り先から「要らない」と言われたときが転機でした。 も

    ともと昭和17年に社長が戦争に出るときに廃業し、昭和30年にやっと復活 したという経緯もあって、当時で12百万の補償をもらって廃業しようかとも 考えましたが、私の祖父に「二度も蔵が消えるようなことはしないでくれ」 と言われて思いとどまり、自社ブランドでの再生を目指したのです。

    人真似では駄目だと缶ビールがようやく普及しはじめ、冷蔵庫で冷やすこと が珍しかった昭和57-8年頃、吟醸生を製品化しました。

    目立つようラベルに 私が好きだった浮世絵、しかも春画を使い、女房が名付けた「くどき上手」 として出したのですが、地元では全然売れませんでした。

    鶴岡の老舗寿司屋(名前失念)が扱ってくれましたが、家族連れできてもら える店が売りなのにその品位を汚すと反対されまして、今のものになった次 第です。
    #春画のラベルが残ってたら、貰ってくるべきだった。(--;;

    県外へは、場所柄モリ・ハナエ、コシノ・ジュンコや芸能人が集まる南青山 のお店につてを頼って入れて貰えるようになり、「私の行きつけの店」とし て雑誌等に紹介された際に写真が出たことから注目されるようになったのと、 昭和60-1年頃、西武百貨店が展開した有楽町・池袋・渋谷の酒蔵に入ること ができ、そこで買われた各地の酒屋さんから取り引きして欲しいとの声が来 るようになり、上昇気流に乗りました。

    4~500石くらいが一番ロマンを感じられましたし、楽しい酒造りでしたが、 今はそんなこと言ってられません。10年の間に設備を一新させましたから、 借入も膨大ですし、経営するという感覚がなければ成り立ちません。

    今のところ、能力的にも石数を増やす考えはありません。それでいて利益は 必要ですから、4~5年内に50%純米を製品のボトムラインにしたいと考えて います。

    地元向けの55%の精撰はその時点で廃版ですね。 ここ暫くは先の設備投資を回収し、借入が半減した頃、次の方向性を探して みたいと思っています。

    「亀仙人」という商標も登録してありますので、これを古酒に使ってみよう かと考えたりしています。

    私も毎年肉体的にきつくなっています。それにどこの杜氏さん達の組合も、 1/3は優秀、1/3は将来性を買える、残りの1/3は駄目な人なんです。今後を 考えると杜氏に頼らない酒造りを模索しなければなりません。

  • 小川知可良先生(10号酵母の生みの親)に教え込まれたという今井専務の  化け学講座

    最近はカプロン酸系芳香が出る酵母が重用され、10号の変異株スーパーメイ リも登場した。(メモ紙に図を書きながら)カプロン酸だけに特化させても エネルギーの総量は変わらないので、他のところが痩せることでバランスが 取れる。

    総量まで変化するヤコマンとの違いがここにあり、あれは異臭であ る。Gas Chromatograph を使うことでそういう操作が可能になったが、三世 代くらいで先祖帰りするという欠点もある。

    これは発酵力・アルコール耐性 が弱まるという変異株特有の問題で、秋田酵母はこれを開発した方(名前失 念(_o_)がそれを補っていたが、その方が醸造研究所に戻られてからはその 技術を継承できずに、済し崩しになってしまった。

    それに比して、山形酵母は変異株ではない上に、各蔵元の15日経過醪から試 料を抽出して追試しているため、同様のことは起こらないだろう。

  • 蔵見学

    蒸米はまだ釜を使用している。掃除が行き届いた清潔な蔵という印象。 ヤブタで搾っていた55%純米をアルミの杓にとってきかせていただく。 炭酸が残り、酸の出も豊か。

    槽口にしてはおとなしく、まとまりの良さを感 じるが、唇に触れる金っ気がマイナス。きき猪口が欲しかった。17:00過ぎると蔵には専務だけになることから、仕込みタンクはすべてサー マル・タンクで、そのパイプと金属製の網の足場がタンクを取り巻くように 巡っていた。

    瓶詰機は国産、ラベラーはイタリア製(新潟・北雪と同じ物?)とラインの 高さが違うので、瓶詰機にスペーサーをつけて補正してあった。

    地元のおば ちゃん達には高すぎてたいへんと笑っておられたが、実際しんどそう。 掃除を考えるとたいへんだが、ラベラーの床を下げて対応した方が作業性は 良くなると思う。

  • 新貯蔵庫見学

    地元向け55%の「霊峰月山(?)」という普通酒まで冷蔵管理していた。 2Fはホール。いつ、どんな風に使うのだろう? 帰り際に大吟醸の720mlを1本いただく。

    最初はきつい顔つきに感じた専務 のお顔もこの頃には柔和になり、時折笑顔も混じるようになる。 長々とお話を伺ったり、蔵を案内していただいたことに感謝しながら、お暇 した。

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