当店のお客様が書いてくださったレポートを転載いたします。 とても細かいところまで観察して下さったレポートです。
予定より少し早く13:10 頃木川屋さんを出発。今年のバスはノントラブルで 羽黒の大鳥居が見える蔵元に着き、蔵見学のお約束事「ゴムサンダルに履き 替え」後、ミーティングルームで杜氏も兼ねる今井俊治専務からお話を伺う。
- 今井専務のお話
製造は25-6才から34-5才までと非常に若い人間が造っていますが、酒造りは 経験・技術どうのこうのではなく、麹・酵母など生き物とどう接するか、ど のように環境を整えてやるかだと思っています。
(壁に貼ってある造りのスケジュールを指しながら)ご覧のように、今年は 10月16日から3月11日までの間、8:00~17:00までの勤務で、平均精米50%を 切る造り(1500kg仕込みで63本と後に仕込み蔵で伺った)をこなしていくの で独自の部分がかなりあります。
「どうやってる?」と他の蔵元に訊かれる ことがありますが、参考にはなりにくいでしょう。 -
蔵見学は基本的にお断りしています。以前はお受けした時期もありましたが、 あっちを受け、こっちを断ると依怙贔屓になってしまうので全部止めました。
酒造りへの集中力が途切れるし、まして今の時期は大吟もあり、全員がピリ ピリしているからですが、木川屋さんには昨年もお断りしているし、2年続 けて断るのも...ということと、取り扱いを10百万くらいにして貰えればいい かと今回お引き受けしました。
#10百万は冗談混じりのお話でしたが、修一さんは... ただただ苦笑。(^^;現在の取引先は県内外で350店ほど。一店当たり1百万の取引、350~400百万 くらいの売上を目論んでいます。
それで得た利益で設備や労務対策などの好 環境を整備するのに回していきたいと。 以前はロマンだとか、こだわりといったものに固執したこともありましたが、 この規模になるとそれだけでは済まされなくなるのです。
酒造りのために当たり前のことをやっているだけなので、それをこだわりと は云いたくありません。1300石の出荷ですが、その内60%が小瓶類(720ml、300mlなど)なので出荷 本数にすると35万本(平均容量670ml。小瓶比率が高い)ほどです。
今でこそ「くどき上手」として知られるようになりましたたが、15年くらい 前までは自社売り230石。残りの80%は未納税移出、俗に言う桶売りでした。
その桶売り先から「要らない」と言われたときが転機でした。 も
ともと昭和17年に社長が戦争に出るときに廃業し、昭和30年にやっと復活 したという経緯もあって、当時で12百万の補償をもらって廃業しようかとも 考えましたが、私の祖父に「二度も蔵が消えるようなことはしないでくれ」 と言われて思いとどまり、自社ブランドでの再生を目指したのです。人真似では駄目だと缶ビールがようやく普及しはじめ、冷蔵庫で冷やすこと が珍しかった昭和57-8年頃、吟醸生を製品化しました。
目立つようラベルに 私が好きだった浮世絵、しかも春画を使い、女房が名付けた「くどき上手」 として出したのですが、地元では全然売れませんでした。
鶴岡の老舗寿司屋(名前失念)が扱ってくれましたが、家族連れできてもら える店が売りなのにその品位を汚すと反対されまして、今のものになった次 第です。
#春画のラベルが残ってたら、貰ってくるべきだった。(--;;県外へは、場所柄モリ・ハナエ、コシノ・ジュンコや芸能人が集まる南青山 のお店につてを頼って入れて貰えるようになり、「私の行きつけの店」とし て雑誌等に紹介された際に写真が出たことから注目されるようになったのと、 昭和60-1年頃、西武百貨店が展開した有楽町・池袋・渋谷の酒蔵に入ること ができ、そこで買われた各地の酒屋さんから取り引きして欲しいとの声が来 るようになり、上昇気流に乗りました。
4~500石くらいが一番ロマンを感じられましたし、楽しい酒造りでしたが、 今はそんなこと言ってられません。10年の間に設備を一新させましたから、 借入も膨大ですし、経営するという感覚がなければ成り立ちません。
今のところ、能力的にも石数を増やす考えはありません。それでいて利益は 必要ですから、4~5年内に50%純米を製品のボトムラインにしたいと考えて います。
地元向けの55%の精撰はその時点で廃版ですね。 ここ暫くは先の設備投資を回収し、借入が半減した頃、次の方向性を探して みたいと思っています。
「亀仙人」という商標も登録してありますので、これを古酒に使ってみよう かと考えたりしています。私も毎年肉体的にきつくなっています。それにどこの杜氏さん達の組合も、 1/3は優秀、1/3は将来性を買える、残りの1/3は駄目な人なんです。今後を 考えると杜氏に頼らない酒造りを模索しなければなりません。
- 小川知可良先生(10号酵母の生みの親)に教え込まれたという今井専務の 化け学講座
最近はカプロン酸系芳香が出る酵母が重用され、10号の変異株スーパーメイ リも登場した。(メモ紙に図を書きながら)カプロン酸だけに特化させても エネルギーの総量は変わらないので、他のところが痩せることでバランスが 取れる。
総量まで変化するヤコマンとの違いがここにあり、あれは異臭であ る。Gas Chromatograph を使うことでそういう操作が可能になったが、三世 代くらいで先祖帰りするという欠点もある。
これは発酵力・アルコール耐性 が弱まるという変異株特有の問題で、秋田酵母はこれを開発した方(名前失 念(_o_)がそれを補っていたが、その方が醸造研究所に戻られてからはその 技術を継承できずに、済し崩しになってしまった。
それに比して、山形酵母は変異株ではない上に、各蔵元の15日経過醪から試 料を抽出して追試しているため、同様のことは起こらないだろう。 - 蔵見学
蒸米はまだ釜を使用している。掃除が行き届いた清潔な蔵という印象。 ヤブタで搾っていた55%純米をアルミの杓にとってきかせていただく。 炭酸が残り、酸の出も豊か。
槽口にしてはおとなしく、まとまりの良さを感 じるが、唇に触れる金っ気がマイナス。きき猪口が欲しかった。17:00過ぎると蔵には専務だけになることから、仕込みタンクはすべてサー マル・タンクで、そのパイプと金属製の網の足場がタンクを取り巻くように 巡っていた。瓶詰機は国産、ラベラーはイタリア製(新潟・北雪と同じ物?)とラインの 高さが違うので、瓶詰機にスペーサーをつけて補正してあった。
地元のおば ちゃん達には高すぎてたいへんと笑っておられたが、実際しんどそう。 掃除を考えるとたいへんだが、ラベラーの床を下げて対応した方が作業性は 良くなると思う。 - 新貯蔵庫見学
地元向け55%の「霊峰月山(?)」という普通酒まで冷蔵管理していた。 2Fはホール。いつ、どんな風に使うのだろう? 帰り際に大吟醸の720mlを1本いただく。
最初はきつい顔つきに感じた専務 のお顔もこの頃には柔和になり、時折笑顔も混じるようになる。 長々とお話を伺ったり、蔵を案内していただいたことに感謝しながら、お暇 した。